ここでは、一橋大学の日本史の傾向と対策を解説していきま … 日本史論述 . (2) 大日本は神国なり。天祖はじめて基を開き、日神長く統を伝え給う。(中略)ただ我国のみ天地開けし初めより今の世の今日に至るまで、日嗣を受け給う事よこしまならず。一種姓の中におきても、自ら傍より伝え給いしすら正に帰る道ありてぞ保ちましましける。これ、しかしながら神明の御誓あらたにして、余国に異なるべきいわれなり。そもそも神道のことはたやすく顕さずということあれど、根元を知らざれば猥りかわしき始めともなりぬべし。そのついえを救わんがために、いささか勒し侍り。 解法のヒント公開. (イ) 次の文章の    内を埋めよ。, 1927年4月17日、若槻内閣の提出した(1)    が枢密院で否決されると、金融界は大混乱に陥り、(2)    、(3)    などの銀行や会社が破綻した。, (ウ) 金融恐慌を鎮静するにあたって田中内閣はどのような対策を講じたか。その対策を二つ記せ。またその時の大蔵大臣の氏名を記せ。 一橋大学文系2016年の過去問(数学)問題3は、場合の数と確率の単元からの出題です。 一橋大学 2016年 文系 第3問 【pr】新倉敷駅前に新規開校 アイネス個別ゼミ 講師募集中! トップ 過去問 一橋大学 2016年 - 文系 - 第3問 3 3. (3) 下線部(ウ)について、上げ米制とは何か、また、それが「幕府財政のあり方を変更する」ものであるのはなぜかを具体的に説明せよ。, (1)本田利明。西洋諸国との交易による富国策を説いた。(2)当初はその年の作柄を調べて税率を決定する検見法が採られていたが、税収が不安定であったため、豊凶に関係なく過去の年貢高を基準とした定率の定免法へと改められた。鉱山開発のための技術が治水や水路の開発に転用され、新田開発が積極的に行われたことや、深耕用の備中鍬などの農具の改良による農業生産力の向上などによってこの転換は可能となった。(3)大名から石高一万石について百石を臨時に献上させ、その代わりに参勤交代の負担を軽減した制度。上げ米制は幕領からの年貢収入の減少を背景に出されたものであるが、これにより幕府財政の諸藩への依存度が高まった。(291), 明治政府は、1871年、封建的身分制度を廃して、(ア)原則的には四民平等を定め、翌年、(イ)全国的な戸籍編制を行ったが、それはわが国近代戸籍制度のはじまりとなった。 この戸籍編成は、わが国のひろい意味での戸籍の歴史からみると、第3回目の全国的戸籍編成であった。そして、その最初の全国的戸籍編成と、(ウ)第2回目のそれとの間には、(エ)長い時間的空白があったのである。, (1) 下線(ア)の部分について、具体的に記せ。 一橋大の英語20カ年[第7版] (難関校過去問シリーズ) 黒下 俊和 . 一橋大学の世界史は非常に難解である一方、 同じテーマの過去問を焼き直ししているだけ、という問題も散見されます。 視点をずらして様々な問われ方をされますが、本質は同じなので、過去問研究を行って対策を行いましょう。 通常配送料無料. 正直、 一橋の日本史はこれをどれだけやり込めるか で、勝負は決まります! というのも、先ほども述べたように、一橋の日本史は、 何度も以前に出題されたものの類題が また出題される からです。 僕は、過去問を夏明けから開始し、受験当日まで、覚えるくらい何周も繰り返しました… (2) 下線部(イ)について、平安時代に浄土教の信仰がひろがった事情を、社会的背景と教理とを結びつけて、簡単に説明せよ。 (3) 下線(3)の部分について具体的に説明せよ。, (1)当時綿糸紡績業では機械制生産が普及し、輸出が増加していたものの、原料綿花・機械を輸入に頼っていたため、輸入超過が続いていた。これに対し、最大の輸出産業であった製糸業は国産の繭と機械を使用したため、製糸輸出によって確保された外貨が原料綿花・機械の輸入に使用された。(2)日本勧業銀行・日本興業銀行などの特殊銀行を設立し、産業界へ資本を供給させた。また造船奨励法・航海奨励法を公布して、鉄鋼船の建造と外国航路への就航に奨励金を交付した。(3)日清戦争後、都会で産業革命が進展したのと対称的に農村部では農業発展が停滞しており、デフレによって定額金納の地租は実質的な農民の負担増加となっていた。困窮した農民は土地を手放して小農民となる一方、地主は土地を集積して小作料収入に依存する寄生地主となっていった。寄生地主は高率な小作料収入の余剰を企業や株式に投資したり、自ら会社を設立するなど資本主義社会へ進出していった。(400), ※(3)(「デフレによって」のとこは)松方財政期のみのため、産業革命期のこととして述べるべきではない。また、下線部が「寄生地主」ではなく「寄生地主”制”」であることに注目。寄生地主制においては小作人も不可欠の存在で彼らの子女が繊維産業に安価な労働力を提供したことも重要。, 次の文章は、東京朝日新聞の社説の一部である。これを説んで、下記の問い(1)(2)に答えよ。(400字以内), 護憲内閣が普選を議会に提出せざる前に、貴族院改革の案も決せざるうちに、かつて政友会内閣も通過をいさぎよしとしなかった法案、貴族院では再修正までしたくらいに異論のあった法案を、さらに広汎に、さらに厳酷にして、これを臆面もなく国民の前に出すことは、逆に護憲内閣そのものの本質を国民に疑わしむるものとして反対するのである。, (1) 「臆面もなく国民の前に出」された法案の名称と内容を記せ。 他大学の過去問をするなら、教学社から『世界史〇〇ヵ年』が出ている京大や東大の過去問を解くのをお勧めします。年度には拘らず、文字数の多い論述問題や、ヨーロッパ中世史など一橋の頻出単元に絞って勉強していくのがよいでしょう。 歴史能力検定協会.  井伊直弼が暗殺されたあと、幕府は朝廷との融和政策をとったが、やがて尊王攘夷派が朝廷を動かすようになり、1863(文久3)年には、幕府はやむをえず期日を定めて攘夷の決行を各藩に命じた。しかし、(ウ)定められた期日に攘夷を行ったのはかぎられた藩だけで、尊王攘夷派は同年8月18日の政変で京都から一掃された。 (2) これらの証文を書いた農民の多くは小百姓(小経営農民、小農民)である。小百姓は、荘園制の時代を通じて、その社会的地位をたかめてきたと言われる。その成長を基礎づけた生産力の発展のあり方について述べよ。 Amazon Advertising 商品の露出でお客様の関心と 反応を引き出す: Audible(オーディブル) 本は、聴こう。 最初の1冊は無料: アマゾン ウェブ サービス(AWS) クラウドコンピューティング サービス Amazonアウトレット 訳あり商品を お手頃価格で販売: Prime Now 好きな時間が選べる。 一橋大学過去問 英語・数学・国語・世界史・日本史・地理・倫理政経 商学部 経済学部 法学部 社会学部全共通 合格最高点・最低点・平均点 一橋大学 2020年過去問 - 大学受験の予備校・塾な … 2016年 1月 31日 今日の過去問①一橋大学・日本史(校舎長:田塚) 2015年、一橋大学日本史の出題です。 10万人を超える死者を出したと言われる江戸での大きな災害について。 設問では、 『同様の災害が都市部を中心に頻発したが、この様な災害が 一橋の世界史は全問論述で3問、各400字という構成になっています。 まれに大問の頭に一問一答形式の問題が1問だけ入っていたり、大問ごとに200字×2というような構成になっている年もあったりしますが、400字の大問が3問あるという構成は崩れることはないでしょう。 120分で合計1200字論述を書くことになるので、かなり論述問題を解きなれていないと問題の難易度以前に分量そのものが厳しい問題だといえます。 また、大 … 一橋大学に合格された先輩の合格体験記です。オススメの参考書や勉強法、勉強における転機など合格の秘訣満載です。 本記事では、家庭教師マッチングサイト スマートレーダーに登録する先生から聞いた合格体験記を掲載しています。  その後、(ウ)日露戦争の前年には、教育制度に対する国家統制が強化され、さらに1911(明治44)年には、小学校の日本歴史教科書の内容に対して(エ)政治的な干渉を加える事件もおこった。, (ア)「教育理念の大幅な転換」の内容を具体的に説明せよ。 (イ)この事件を契機に教育と宗教との関係をめぐる論争がおこり、キリス卜教に対する批判がつよまった。この立場を代表する人物一名の名前を記しその主張を説明せよ。  故に我は断ず、帝国主義なる政策は、少数の欲望の為めに多数の福利を奪ふ者也、(後略)。, 問1 この書の著者と書名を記せ。 問2 (イ) 井上馨が条約改正交渉を行っていた最中に起こった対外的事件の名称と内容を記せ。(ロ) また、当時、自由民権派は井上条約案の屈辱的内容と極端な欧化政策に反対して、民権派最後の運動を盛り上げた。「民権派最後の運動」とは何か、具体例2つを記せ。またそれに対する政府の対応を述べよ。 このブログをフォローする. 問3 この書物が出版された1901年前後の「台湾の経営」の経済的特徴を述ベよ。 (3) この意見書が出された頃、民間においても国民的自覚を促す言論活動が活発となった。その内容を説明せよ。, (1)陸軍は参謀本部を新設して統帥部を強化し、軍人勅諭を発布して天皇に対する軍人の忠節を強調した。また、陸軍の編成が、国内治安対策に主眼を置いた従来の鎮台から対外戦争を見据えた師団へと改められた。さらに、大日本帝国憲法では天皇に対して議会の関与できない天皇大権として国防方針の決定権や陸海軍の統帥権を認めた。(2)朝鮮の近代化を図る親日派のクーデタを援助したが失敗に終わり、これを受けて清国との間に天津条約を結んだことで朝鮮に対する影響力は低下した。後に甲午農民戦争が勃発すると朝鮮の内政改革を巡って清国と対立を深め、日清戦争開戦に至った。(3)徳富蘇峰は山路愛山らとともに、一般国民の生活の向上と自由を拡大するための平民的欧化主義の必要性を説いた。これに対して三宅雪嶺や陸羯南らは日本固有の伝統のなかに価値基準を求め、それを基礎に国民国家を作り上げようとする国粋保存主義を説いた。(385), 日本の近現代史における代表的なデフレ政策を3つあげて、説明せよ。(400字以内)その際、下記の3点に留意すること。, 1 デフレ政策を推進した中心人物と時期 毎年恒例の、一橋大学の日本史の解答例です。今年は、例年以上に大胆に字数配分をしてみました。第2問、第3問は過去問の類題があり、過去問をしっかりやっていた受験生は、取り組みやすかったと思います。「一橋大の入試対策は過去問だ!」というのが、よく  このような証文は、17世紀半ばには、全国各地でひろく見られた。これについて、次の問いに答えよ。, (1) このような文体は「かな混り候文」と呼ばれる。この文体の基礎となっている「かな文字」の成立とその歴史的意義について述べ、さらにそのような文化現象は、東アジアにおいても、わが国だけのものではなかったことを、例をあげて述べよ。 石田謙治の日本史. 1979年. (2) この法案が出された歴史的背景は何か。この法案が成立するときの事情を念頭におき、第一次護憲運動(「大正政変」)以来の国内的、国際的な変化に即して具体的に述べよ。, (1)治安維持法。国体の変革や私有財産制度の否認を目的とする結社の組織者と参加者を処罰することを定めたもので、最高刑は懲役10年とされた。(2)国際的要因には日ソ基本条約の締結によるソ連との国交樹立がある。当時第一次世界大戦中に起こったロシア革命が成功したことで社会運動全体における共産主義の影響力が拡大しており、日本においても共産主義勢力の活動が活発になることが懸念された。国内的には虎の門事件・普通選挙法の制定がある。虎の門事件は無政府主義者が摂政宮裕仁親王の暗殺を謀った事件であるが、当時無政府主義活動が活発化していたため、その取り締まりが求められた。第二次護憲運動の結果、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の3党連立による護憲三派内閣が成立し、普通選挙法を制定したことで男子普通選挙が実現したが、その結果、労働者階級の政治的影響力の増大が懸念され、政府は政党政治の存続には労働者の取り締まりが必要と考えた。(400), 室町時代には禅宗の寺院で学ぼれていた儒学は16世紀末に寺院から独立し、林家のように幕府に登用される者や、17世紀の藩政に大きな影響力をもった者も現われた。また、朱子学に批判的な学派や、幕府政治の改革に発言したり従事したりする学者も出現した。こうした儒学の展開を、17世紀初頭から1720年代までを念頭において略述せよ。そのさい、(1)それぞれの学派・学者の学風の特色、(2)幕政および藩政とのかかわりに留意して、学問と思想の発展の流れが理解しやすいように記述せよ。(400字以内), 帝国議会の開設にむけて、政府は1881(明治14)年の政変から1889(明治22)年の憲法発布の間に、地方制度や官僚制、軍隊、議会、皇室(ア)など多方面にわたる国家制度の整備を進めた。その後、日清戦争を経て、日本資本主義の発展、政府と政党の関係の変容、藩閥内部での政党に対する対応の変化などがおこり(イ)、第一次山県内閣の下で、官僚、軍隊、選挙の各制度の改革と治安立法の制定(ウ)がおこなわれた。, (1) 下線部(ア)のそれぞれの改革の具体例を示し、それらがどのような時代背景のもとで何を目的に実行されたかを説明せよ。具体例には詔勅類を含めてよい。 一橋大 論述の解法. 最後に、一橋日本史を対策するにあたって最も重要なのは過去問研究です。苦手な人でも回数を重ねれば解けるようになってきて楽しくなります。現役生は学校の授業で通史が終わる前に、自分で過去問演習を始めても良いのではないでしょうか。 一橋の日本史は各400字の大問3つからなり、各小問の字数は指定されていません。大問1は前近代から近現代まで年度により出題される時代はさまざまですが、大問2・3は近現代からの出題がほとんどです。早めに過去問を解くことで、どのように字数を配分すれば良いかが掴めてきます。 (3) 下線部(イ)の内容を具体的に述べ、それらと下線部(ウ)の各改革との関係を明らかにせよ。, (1)開国以来、日本は列強の圧倒的国力の前に屈していた。そこで近代的立憲国家確立のため、市制・町村制を制定し、地方自治制を確立した。また、太政官制を廃して内閣制度を制定し、議会は貴族院と衆議院から成る2院制とした。さらに徴兵令を改正し、従来の免役規定・代人制を廃して国民皆兵原則の軍隊を確立、また、皇室典範を制定し、皇位の継承などについての法的根拠を与えた。(2)文官任用令の改正。軍部大臣現役武官制の制定。選挙人の納税額を直接国税10円以上に改正。治安警察法の制定。(3)日清戦争後、藩閥政府と政党の連立内閣が出現し、政党の影響力が増大したため、文官任用令・軍部大臣現役武官制によって政党の力がそれぞれ官僚・軍部に及ぶのを防いだ。紡績業などに見られる資本主義の発達で工場制工業が普及し、賃金労働者が増加した。彼らは待遇改善や賃金引上げを要求してストライキを起こしたため、政府は治安警察法により労働運動を取り締まった。(400), 1931(昭和6)年12月、第2次若槻内閣が総辞職(1)したあと、犬養毅を首班とする政友会内閣が成立した。犬養内閣の蔵相高橋是清は前内閣の蔵相井上準之助とは対照的な財政・金融・貿易政策を展開した(2)。これにより日本はドイツとならんでいち早く恐慌からの脱出に成功(3)したが、他方で、諸外国との経済的摩擦を強めることとなった(4)。, (1) 第2次若槻内閣の総辞職の理由をのべよ(100字以内)。 第2問 . 一橋大学日本史 過去の一橋大学入試問題の日本史の解答例を掲載しています。 ブログ画像一覧を見る. 2 デフレ政策が登場した歴史的背景 京大の日本史(傾向と対策:過去問研究編) ①100点満点で記述式(70点)・論述式(30点)の配点となっている。 ②本学の受験生レベルからすれば、記述式の問題(70点分)はかなりの高得点が必要となるが、例年最初の大問Ⅰ(20問・20点)は史料問題が3題出題されておりここで思い … (2) 天皇陛下に於かせられては飽く迄対米交渉を平和裡に妥結せしめられんことを御軫念 1 あらせられたること。 (エ) 1927~28年における中国の政治情勢を念頭におきながら、田中内閣の対中国政策を具体的に記せ。, (ア)第一次世界大戦による好況の反動で株式市場が暴落して1920年恐慌が発生し、続く関東大震災で多くの工場や事業所が倒壊・焼失すると、銀行手持ちの手形が大量に決済不能となり、政府は日銀に巨額の特別融資を行わせた。しかし、不況が慢性化しており、多くの震災手形が未決済であった。(イ)(1)緊急勅令案(2)台湾銀行(3)鈴木商店(ウ)3週間のモラトリアムを発して全国の銀行を一時休業させ、日銀から巨額の非常貸出しを行った。高橋是清(エ)当時中国では国民革命軍が中国統一を目指して北伐を行っていた。田中内閣は満州における日本権益を実力で守る方針を決定し、南満州軍閥の張作霖を支援して、日本人居留民保護の名目で3次にわたる山東出兵を行った。(300). 解法のヒント公開しました!1.25. 問3 日本で実際に実施された「A級戦犯裁判」について具体的に説明せよ。, (1)アメリカとの関係悪化に対し、第二次近衛内閣は帝国国策遂行要領を出して対米交渉を図ったが、妥協点を見出せず失敗に終わり、続く東条英機内閣でのアメリカ側の提案は日本の満州事変以前の状態への復帰を要求するものだったため、日本政府は対米交渉を不成功と判断、開戦に踏み切った。(2)「開戦の決定」・「作戦計画の遂行」はどちらも議会の協力なしに天皇が行使できる天皇大権であった。前者は天皇が自らの積極的意思によって行使することはなく、専ら国務大臣や帝国議会の輔弼と協賛によって行使する慣例であった。後者においては軍隊の作戦権は陸軍参謀本部・海軍軍令部の補佐の下に発動され、政府も介入できない慣行であった。兵力量の決定は内閣の輔弼事項であった。(3)連合軍が国際条約に違反して戦争を計画・開始した者に対して「平和に対する罪」を適用し、極東軍事裁判で裁いた。その結果、東条英機らがA級戦犯とされ、うち7名が処刑された。(398), 次の文章は、それぞれ13世紀(1)、14世紀(2)、18世紀(3)に著された歴史書の一部である。これらを読んで、下記の問いに答えよ。(文章は、原文を書き改めてある。)(400字以内), (1) 年にそえ日にそえては、物の道理をのみ思い続けて、老いの寝覚めをも慰めつつ、いとど年も傾き罷るままに、世の中も久しく見て侍れば、昔より移り罷る道理もあわれにおぼえて、神の御代は知らず、人代となりて神武天皇の御後百王と聞こゆる。既に残り少なく、八十四代にもなりける中に、保元の乱出来て後のことも、また世継が物語と申すものも、書ぎ継ぎたる人なし。(中略)それは、皆ただ良きことをのみ記さんとて侍れば、保元以後のことは皆乱世にて侍れば、悪き事にてのみあらんずるをはばかりて、人も申し置かぬにやと愚かにおぼえて、一筋に世の移り変り衰え降ることわり一筋を申さばやと思い続くれば、誠にいわれてのみおぼゆるを、かくは人の思わで、この道理に背く心のみ有りて、いとど世も乱れ穏しからぬことにてのみ侍れば、これを思い続くる心をも安めんと思いて、書き付け侍るなり。 2021年01月10日. 過去問で見た日本史の難問奇問 [無断転載禁止]©2ch.net 1 : 名無しなのに合格 :2016/01/29(金) 13:15:46.38 ID:zfWLEG4m 新田義貞が鎌倉滅ぼす時に足利義詮(4歳)連れてったとかどうでも良すぎワロタwwwwww (4) 下線(エ)の部分について、その空白の時代とはいつか、またその長い空白の理由は何かを記せ。, 1平民には苗字が許され、職業選択の自由なども認められた。また身分解放令により旧来のえた・非人などの称を廃し、制度の上では平民同様とした。2壬申戸籍では華・士族、平民という新たな族籍に基づく戸籍編成が行われたが、旧被差別部落民に対する差別は存続した。3禁教の徹底を図るため、家族ごとに宗旨と檀那寺を記載した宗門改帳は後に人口調査の人別改と合わされて宗門人別帳となり、戸籍の役割を果たした。4平安時代から江戸時代初期。浮浪・逃亡や偽籍、初期荘園の増加により戸籍が形骸化したため、平安から鎌倉には戸籍が作成されなくなり、また鎌倉後期以降は年貢を村全体にかける村請制が採られたため、戸籍作成の必要が無かった(300)。, 日本史の大まかな時代区分としては、鎌倉・室町時代を中世、江戸時代を近世と称し、いずれも封建社会とするのが一般的なとらえ方である。しかし、おなじく封建社会といっても、中世と近世とでは、社会と経済の仕組や諸階級・諸身分のありように大きな相違がある。そして、このようなとらえ方からすると、戦国大名の領国支配は、中世的性格をなお保ちながらも、近世へと移る過渡的特徴が顕著になってきているものといえよう。この過渡的特徴が戦国大名の領国支配においてどのように現れているかを説明せよ。そのさい、(i)家臣団支配、(ii)分国法、(iii)農民・農村政策、(iv)城下町と商工業政策などにふれて解答するように留意せよ。(300字以内), 戦国大名は中世の武士団支配に倣った寄親・寄子制を採用し、家臣団に組み入れた地侍を有力家臣の元で組織化したが、これは近世の家臣団支配へも継承された。また、各大名が制定した分国法には、幕府法や公家法を継承した法とともに、国人一揆の規約を吸収した法などがみられ、中世法の集大成的な性格をもっており、江戸幕府が作成した武家諸法度はこれをもとに作成された。農民政策では中世の地下請を継承し、検地を行って農民支配を強化したうえで、村全体で年貢を一括納入する村請が採用され、近世でも継承された。さらに城下町には中世で経済力をつけた商工業者が集められ、近世の領国における統一的経済圏形成の基礎が確立された。(295), わが国の近代教育制度は、(ア)1872(明治5)年の学制によって発足したが、1886(明治19)年の学校令によって教育理念の大幅な転換がはかられた。1890(明治23)年の教育勅語はその教育理念を裏づけるものであったが、翌年には(イ)内村鑑三の不敬事件のようなこともおこった。 第二問 .  一 質券売買地1)の事 (4) 日米交渉継続中に攻撃を加ふることを避けんが為日米交渉打切りの通告方努力せること。 問2 「北清の事件」とはどのような事件か。具体的に述べよ。 過去問ライブラリー. 早稲田過去問の救急はweb上で連載する. (2) 国内における政治的対抗関係を中心にして、第2次近衛内閣成立の経過について説明せよ。 グラフを見ると、41年間で見ても、やはり社会経済史と政治・法制史の割合が高いことがわかる。しかし、これだけでは時代別の分野傾向が見えないため、【3】で別のグラフも用意する。, 近代が圧倒的に多い。大門3でも近代までしか問われないことも多々ある。近代を強化することは一橋日本史打倒への大きな一歩である。, ※ここでは、鎌倉時代以前を古代、以後を中世、太閤検地以後を近世、明治維新以後を近代、戦後を近現代と表現する。, グラフを見ると古代では外交史よりも国内に重点を置いた問題が多いことがわかる。とくに律令制度の確立及び崩壊に焦点が当てられている。また文化史としては仏教史が多い。, グラフを見ると、この頃から貨幣が増えてきたからか社会経済史の割合が増加する。また、文化史が多く、特に室町以後の文化に焦点が当てられている。, ここで社会経済史の割合が激増するが、これは商品経済の活発化に起因している。近世に自信を持つためには社会経済史を鍛えることが手っ取り早い。, 近代に入ると外交史が激増するが、これが近代からの日本史を難解にしている要素でもある。また、産業革命についての問題や明治憲法関連問題も増える。, 近現代で特徴的なのは文化史がほとんど無いことだ。それ故、これからの出題に備えること。また近現代では政治・法制史の出題が急増する。, 上のグラフを見ると、1990年代から2000年代初期にかけて減少していた文化史が増加傾向にあることがわかるであろう。社会経済史や政治・法制史に傾倒しすぎた勉強は得策とは言えない。, …「末法思想」「浄土思想」「源信」「往生要集」「平等院鳳凰堂」の記述(2014)・貴族と庶民の食事の違い(2014)・「盟神探湯」の記述および内容(2011)・「かな文字」の成立とその歴史的意義(1986)・密教の内容およびその支持の理由の説明(1984)・平等院鳳凰堂と浄土教(1984)・「本地垂迹説」の記述とその内容と具体例(1984)・, …「調」の記述(2019)・都城に居住した人々と彼らの経済基盤(2012)・律令制度下での官道の利用(2005)・都城に地方から来た人々(1991)・東市と西市が忘れられた存在となった理由(1991)・「名」の起源について説明(1987)・平安時代に浄土教の信仰がひろがった事情(1984)・, …邪馬台国の説明(1980)・律令とは何か説明(2016)・律令による土地&人民支配の実態とその変質(2008)・蓄銭叙位令の目的と実態(2002)・律令制的租税・労役制度の特徴(1996)・荘園制下の収取の特徴を,律令制的租税・労役制度の変質過程を踏まえて説明(1996)・律令体制の動揺下での郡司の地位や役割の変化(2016)・「鎮護国家思想」の記述および7~8世紀の仏教受容の過程(2014)(1980) ・「格」の記述(2011)・, ……白村江の戦いの説明及びその影響(2011)・607年と894年の日本の対外関係史上重要な出来事(1989)・, …・応仁の乱以後の浄土真宗の展開(2014)・「起請文」の記述(2011)・「平家物語」の説明(2009)・「十六夜日記」の作者と内容(2005)・「愚管抄」「慈円」の記述およびその内容(1990)・「神皇正統記」「北畠親房」の記述と内容(1990)・江戸時代以前の「袴」の例(1987)・室町時代の民衆を担い手とする文芸文化(1981)・室町の和風生活様式の原型(1980)・衣料原料としての木綿の出現(1980)・, …「大田文」の記述および鎌倉時代までの土地領有関係の変遷(2019)・中世の京都の住民構成の変遷(2012)・南北朝動乱期の社会状況(2009)・惣村の特異点(2007)・宋銭や明銭の使途・機能(2002)・中世における農民の識字能力(1995)・撰銭令について(1993)・貫高制の説明(1993)・神人&供御人の説明とその動向(1991)・中世後期の京都の町の運営(1991)・徳政一揆が室町時代後期に頻発した理由(1988)・庚午年籍~宗門人別改帳までの戸籍の空白の理由(1983)・古代~中世の市・町の発展過程(1981) ・室町時代の特産物の記述(2019), …御成敗式目について(2016)(2011)(2008)・喧嘩両成敗法について(2008)・永仁の徳政令の目的(1988)・分一銭について(1988)・戦国大名の領国支配の近世へと移る過渡的特徴(1982)【300字】・, …応永の外寇の説明(2006)・日宋貿易と日明貿易との性格の相違(2002)・1401年と1543年の日本の対外関係史上重要な出来事(1989)・, …「民間省要」の内容(2020)・「近江商人」を答えさせる問題(2020)・蘭学の例(2017)・司馬江漢の指摘&彼の功績2点(2017)・闘茶の説明(2009)・「村田珠光」の記述及び侘茶の説明(2009年)・「北野大茶会」の記述と茶人1人(2009)・「貞享暦」「渋川春海」の記述とその改暦事情(2003)・「二宮尊徳」の記述と報徳仕法の内容(2001)・「本居宣長」の記述と国学について説明(2000)・民間信仰・民俗信仰について説明(1997)【語句指定】(1980)・「庭訓往来」の記述および説明(1995)・「開成所」「西周」「津田真道」の記述と彼らの活動(1992)・「読史世論」「新井白石」の記述と内容(1990)・儒学の展開を略述【400字】(1985)・「西域物語」の著者名とその主張(1984)・着物の現出と生活様式や女性の社会的地位の変化(1980)・中世と近世の巡礼の違い(2020), …宿の町人らに課せられた負担(2020)・・物見遊山の旅が広まった背景(2020)・「強訴」の記述および百姓の抵抗形態が逃亡から強訴へと変化した背景(2018)・国訴の記述および内容(2018)(2001)・村方騒動の争点および年貢納入の際の村役人の役割(2018)・「明暦の大火」の記述と火災が都市部に頻発した理由(2015)・世直し一揆の特異点を以前の一揆と比較して説明(2015)(2001)・町人身分の決定要件(2013)・町人への負担(1998)・百姓と農民の不一致点2つ(2013)・百姓の共同作業例2つ(1998)・中世に博多と堺が発展した理由と近世に入ってからの変化(2012)・江戸が巨大都市となった理由(2012)・大名城下町が発展した理由(2012)・農村への商品経済の浸透(2010)・四木の説明(2010)・領主財政の逼迫について(2010)・太閤検地の惣村への影響(2007)・村請制と地下請(2007)(1987)・五街道の運営方式(2005)・物資輸送の面での舟の有用性(2005)・干鰯の有用性(2004)・百姓たちが小林一茶や平田篤胤を支持・後援した社会的・経済的・文化的背景(2004)・「農業全書」「宮崎安貞」の記述および農書の役割(2003)・「木綿」の記述とその特質(2003)・木綿による生活の変化(2003)・徳川幕府が整備した貨幣制度の特徴(2002)・中世と近世の一揆の異同と両者の関連(2000)・武士・百姓両身分のあり方の中世後期と近世での違い(1998)・貫高制・石高制の新しさ(1996)・寺子屋と藩校の比較(1995)・農村での識字計算能力の重要性(1995)・分地制限令を出した理由(1994)・田畑永代売買禁止令以降の土地移動(1994)・田畑永代売買禁止令の背景(1986)・中世~近世の農業技術の発展(1994)(1986)・攘夷運動が高揚した背景(1992)・尊王攘夷運動の意義(1992)・幕末の民衆運動の高揚(1989)(1981)・幕末における綿織物業および製糸と絹織物業の発展(1980)・14C~17C間の水田稲作農業の技術的発展および村落の変化(1979)・, …人掃令の記述と説明(2013)・肥前藩と長州藩の藩政改革(2019)・「新井白石」「西洋紀聞」の記述(2017)・新井白石から松平定信までの対外政策(2017)・「公事方御定書」の記述と江戸幕府の司法政策の特徴(2016)・享保の改革について(1999)(1984)・寛政の改革について(2015)(2004)(2000)(1997)・「寺檀制度」の記述および江戸幕府による宗教統制(2014)(1983)・「武家諸法度」の記述(2011)・田沼と水野の経済政策(2010)・禁中并公家諸法度を制定した目的やその内容(2008)・方広寺の政治的関連(2006)・15世紀から18世紀までの朝鮮との外交【語句指定】(2006)・18世紀末以降の江戸湾岸の警備強化(2004)・関東取締出役と寄場組合(1997)・豊臣政権と徳川幕府の対朝廷政策の比較(1992)・公家と武家の官位制を区別した理由(1992)・紫衣事件について(1992)・「桜田門外の変」「坂下門外の変」の記述とそれを介した幕朝関係の変化・将軍継嗣問題と井伊直弼の対応(1989)・, …… 日米修好通商条約の不平等な点3つ(1991)(1981)・改税訳書の説明(1991)(1981)・文政・天保期の幕府の対外方針(1989)・攘夷を実行した事件およびその影響(1989)・, …「徳富蘆花」の記述(2020)・都市中間層の記述と説明(2019)(2008)・「赤い鳥」の内容とその背景について説明(2019)・総合雑誌の説明(2019)・「改造」の記述(2019)・日本資本主義論争の記述と説明(2019)・新婦人協会&市川房江の記述(2017)・「堺利彦」「幸徳秋水」の記述(2013)・文化史においての西洋化(2011)・徳富蘇峰の思想(2011)・大正期の衣食住の変化(2008)・1890年頃の国民的自覚を促す言論活動(1988)・「廿世紀之怪物帝国主義」「幸徳秋水」の記述(1987)・日露戦争後の時代思潮(1983)・「井上哲次郎」の記述と彼の主張(1982)・「川上音二郎」の記述(2014)・壮士芝居の出現の背景とその意義(2014)・, …国立銀行が1876年を境に設立が活発化した背景(2018)・日本が金本位制を採用した理由(2018)・特殊銀行2つの記述(2018)・金融恐慌の説明(2018)(2005)(2001)(1982)・家庭婦人&職業婦人の説明と、職業婦人の出現した社会経済的背景(2017)・19世紀以降の参政権および婦人参政権の動向(2017)・「職工事情」の記述と内容説明(2016)・工場法の問題点(2016)・工場法への反発の経済的背景(2016)・松方財政の内容(2016)・「航海奨励法」「造船奨励法」の記述(2015)・第一次世界大戦による日本への経済的影響(2015)(2008)(2005)・太平洋戦争期の船舶不足による経済的影響(2015)・重要産業統制法の背景(2013)・綿花・生糸・綿糸・繭の生産量の推移(2012)・1930年代初期の人口移動(2010)・1930年代後半の人口移動(2010)・1940年代前半の人口移動(2010)・寄生地主制の展開(2009)(1993)(1986)・小作争議の要求内容(2009)・「大坂紡績会社」の記述とそれが果たした産業革命的意義(2007)・企業勃興の説明&「第一国立銀行」の記述&資金を投下した階層3つ(2007)・1890年恐慌について(2007)・戦時体制下で動員が見送られた階層(2006)・学徒勤労令または女子挺身勤労令の説明(2006)・戦時体制下での国民性格の形成(2006)・成金の例および「鈴木商店」の記述(2005)・1920年代初期の社会運動組織3つの説明(2005)・製糸業と紡績業の技術変革(2004)・製糸業と紡績業の貿易動向(2004)・官営八幡製鉄所が福岡県八幡村に設立された理由(2004)・「日本鉄道会社」の記述およびその資金基盤(2004)・統制経済下における民間企業&労働者組織&農業の変化(2003)・日本産業革命の外観【400字】(2002)・製糸業と日本の産業革命との関係(1986)・産業革命にたいする政府の役割(1986)・産業革命の端緒(1993)・産業革命における綿糸紡績業および製糸業(1980)・1927年の銀行法の結果とその歴史的意義(2001)・金輸出再禁止の背景と「高橋是清」の記述(2001)・高橋財政の意義(2001)・高橋財政と井上財政の比較(1985)・「日本鉄道機関方スト」の記述と19世紀末の労働組合結成状況(2000)・「友愛会」「鈴木文治」の記述とその団体の立場&目標(2000)・第一次世界大戦中および後の労働争議の急増の経済的要因(2000)・1930年前後の労働争議の特徴(2000)・福岡&大阪&長野&東京と神奈川間の人口移動(1998)・地租と軍事費の推移(1997)・財閥の日本的特徴(1995)・新興財閥の具体例2つとその活動(1995)・第一次大戦から1930年ころまでの都市の発展と変容の外観【語句指定】(1990)・1901年時の増税(1987)・世界恐慌からの脱出過程の産業構造の転換と経済摩擦(1985)・大正時代の労働運動・農民運動の特徴【語句指定】(1984)・日清・日露戦争を経た貿易のあり方の変化(1983)・1920年代の恐慌への政府の対応とその金融恐慌への関連(1982)・明治初年に政府がとりわけ力を注いだ官営工業(1981)・政商の例(1981), …「政体書」の記述とその内容(1979)・「一世一元の制」の記述と内容(2020)・明治天皇の政治的位置づけの変化【語句指定】(2020)・天皇の存在の国民への浸透の説明(2020)・貴族院と衆議院の違い(2020)・明治憲法下の議会の権限(2020)・国家総動員法について説明(2020)(2018)(2003)(1980)・国家総動員法の背景(1980)・大政翼賛会の成立の経緯と役割(2020)(2003)・翼賛選挙について(2020)・大本営政府連絡会議の説明(2018)・・「学制」の記述とその公布年(2017)・「学制」「近衛文麿」の記述(2016)・治安維持法の内容(2016)(1986)・治安維持法の背景(1999)(1986)・治安維持法が本格始動した事件および背景(1999)・治安維持法改正時の別の治安政策(1999)・治安維持法の改正およびその問題点について(1999)・「臨時資金調整法」「輸出入品等臨時措置法」の記述(2015)・天皇大権について(2012)(1996)(1991)・「天皇大権」の記述(2011)・「天賦人権論」の記述&内容およびその近現代への影響(2011)・井上馨の条約改正案について(2014)(2011)・刑法&民法典論争について(2011)・内村鑑三不敬事件の説明(2010)・戦時体制下での思想統制的教育施策(2010)・戦時下の朝鮮や台湾での皇民化政策(2010)・地主の政治参加(2009)・統帥権の独立について(2009)(1991)・統帥権干犯事件(2009年)・大学令について(2008)・明治憲法の政党政治発展の促進&障害の可能性(2006)・「公式令」の説明(2006)・国家総動員法以後の勅令の具体例2つとその影響(2003)・明治憲法下での陸海軍の最高指揮権について(2002)・明治憲法下での兵力量の決定権(2002)・軍部大臣現役武官制について(2002)・戦前日本の兵役制度を植民地も含めて説明(2002)・立志社案と交詢社案(1996)・明治憲法下での表現の自由の問題点(1996)・市町村会議員,衆議院議員,貴族院議員と地主の関連(1993)・江戸と明治の改元の事情の比較(1992)・民権派最後の運動(1991)・大津事件の内容(1991)・第2次近衛内閣成立の経過(1989)・国防国家体制ノ完成のための政治組織や社会組織などの大規模な改革(1989)・西南戦争~1890年までの軍事上の改革(1988)・天皇機関説の内容とその政治史的意義(2014)(1987)・国体明徴声明のファシズム化への役割(1987)・憲法発布前の地方制度や官僚制、軍隊、議会、皇室の改革(1985)・第一次山県内閣の下の官僚、軍隊、選挙の各制度の改革と治安立法名(1985)・日本資本主義の発展&政府と政党の関係の変容&藩閥内部での政党に対する対応の変化(1985)・第2次若槻内閣の総辞職の理由(1985)・四民平等の内容(2014)(1983)・壬申戸籍の内容及び問題点(1983)・学校令による教育方針の転換(1982)・国定教科書制度の説明(1982)・南北朝正閏問題の説明(1982)・田中義一内閣の対中国政策(1982)・「緊急勅令案」「鈴木商店」「台湾銀行」の記述(1982)・太平洋戦争下での朝鮮人に対しての政策(1981)・戊辰戦争下での豪商らの新政府への働きかけ(1979)・箱館戦争の説明(1979)・薩長討幕側と旧幕府側の目指すそれぞれの統一国家(1979)・護憲三派内閣の性格と成立の経緯【語句指定】(1979)・「岡田啓介」の記述(2014)・滝川事件の説明(2014)・学制以降1930年代までの日本の大学の歴史【語句指定】(2014)・, ……支那駐屯軍はどのように取り決められたか(北清事変&北京議定書)(2018)(1987)・日露戦争の戦費の調達方法(2013)・「青島」「加藤高明」「第一次世界大戦」の記述(2013)・日本が第一次世界大戦に参戦する過程および結末(2013)・日本が太平洋戦争の開戦を決定したアメリカの動き(2013)・不戦条約について(2018)・不戦条約の内容および国連への日本政府の関与(2011)・ワシントン会議について(2011)・日本の朝鮮支配の性格の変化(2011)・アジア太平洋戦争の性格と内容(2006)・二十一カ条の要求および中国への資本輸出(2005)・「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱」直前の国際情勢の変転(2003)・関東軍特種演習について(2003)・日本軍の南方進出について(2003)・南方進出による日米関係の変化(2003)・第一次世界大戦後の平和的国際秩序への日本の対応(2000)・満州国への国連の反発(2000)・満州国建国当時の国内政治体制の変容(2000)・カイロ宣言の内容(1998)・満州事変・日中戦争・太平洋戦争を日本政府がどのように正当化したのか説明(1996)・大東亜共同宣言の内容(1996)・大西洋憲章の内容(1996)・大東亜会議の限界(1996)・日朝修好条規について(1994)・江華島事件について(1994)・国民政府の動向と対中国政策(1993)・太平洋戦争直前の日米の経済断交とその背景(1993)・東南アジアの動向と大東亜会議の内容(1993)・「ワシントン体制」の記述とその背景について第一次世界大戦前と比較して説明(1992)・ワシントン海軍軍縮条約を締結した経済的背景(1992)・ワシントン会議後の対中国政策の変遷(1992)・「ノルマントン号事件」の記述と内容(1991)・日清戦争直前と日露戦争後の二つの条約改正(1991)・太平洋戦争直前の日米交渉(1991)・1940年時の国際情勢の特質を第一次世界大戦直後と比較して説明(1989)・日清戦争の開戦に至る日本の対朝鮮政策(1988)・1901年前後の「台湾の経営」(1987)・南満州経営の内容(1983)・排日移民問題(1983)・日露戦争による日本の国際的地位の変化(1981)・三次にわたる日韓協約の内容(1981)・日本の朝鮮統治政策の特徴と「三・一独立運動」の記述(1981)・成立直後の新政府への欧米諸国の政治的対応(1979)・, …「経済白書」「経済企画庁」の記述(2017)・朝鮮戦争の日本経済への影響(2017)・傾斜生産方式の説明(2017)・金融緊急措置令の説明(2017)・高度成長期の教育上の変化(2017)・農業基本法の内容および高度成長期の農業人口の変化(2010)・農業基本法の説明(1999)・第二次農地改革(2009)・GHQによる日本軍国主義の経済的基盤の解体(2007)・開放経済体制への移行の説明(1999)・企業集団の特徴(1999)(1995)・1955年と64年を画期とする新しい運動と潮流を説明(1999)・財閥解体の流れ(1995)・高度成長期と1930年代の重化学工業の比較(1990)・高度成長期の就業構造の変化の特徴(1990)・農地改革と財閥解体と労働改革の高度成長との関連(1990)・近現代史における代表的なデフレ政策3つ【400字】(1988)・, …明治憲法下での国民の政治参加および衆議院の権限の限界および戦後にそうした限界がどのように撤廃されていったか説明(2019)・人権指令の内容およびそれへの政府の対応(2019)・戦後に天皇が「架空ナル観念」を否定した理由(2019)・1955年の総選挙において社会党が3分の1の議席確保を重視した理由(2016)・細川護熙内閣による選挙制度の変更(2016)・GHQが天皇を戦犯にしなかった理由(2013)・安保闘争(2013)(1997)・安保改定について旧安保からの変更点2つ(1997)・GHQが草案の直接起草に踏み切った理由(2012)・GHQの憲法草案への日本側からの影響(2012)・日本国憲法により改正された法律(2012)・「国民主権」の記述(2011)・教育の民主化に基づく改革(2010)・GHQによる直接的な非軍事化政策(2009)・日中共同声明の内容及び背景(2008)・日中共同声明による台湾との外交関係の変更(2008)・日本列島改造論の内容及びその影響と石油危機(2008)・開戦責任追及のための措置&「不戦条約」の記述(2005)(1998)(1991)・刑事犯罪追及のための措置(2005)(1998)・議会政治の空洞化の例2つ(2005)・公職追放について(2005)(1998)・GHQによる政府の憲法改正案への不満およびそれへの対処(2001)・GHQの占領政策方針転換の内容と背景(2001)(1983)【語句指定】・明治憲法下での女性への差別撤廃のための改革を二つ(2001)・宗教および思想の自由、基本的人権の尊重確立(1998)・池田内閣による岸内閣時代の政治からの転換(1997)・自由民主党政府による教育改革2つ(1994)・「総評」の記述(1994)・春闘について(1994)・自由民主党が位置付けた国家的独立のための課題2つ(1994)・戦前の国体観念の否定のための措置(1987)・, ……賠償問題は日中間でどのように処理されたか(2007)・朝鮮との間の国交正常化(2007)・1969年の日米の共同声明の内容と結果(2004)・沖縄返還の実現を促進することになった背景(2004)・沖縄返還においての争点(2004)・沖縄と小笠原の返還においての核兵器に対しての政府の政策(2004)・占領軍の撤収問題(1998)・サンフランシスコ講和条約が寛大な理由とその背景(1995)・中国との戦後処理(1995)・全面講和と単独講和(1995)・日ソ共同宣言(1994)・, http://tsuka-atelier.sakura.ne.jp/ronjutu/hitotsubashi/hitotsubashixx.html, 享保の改革について(1999)(1984)・寛政の改革について(2015)(2004)(2000)(1997), 日本産業革命の外観【400字】(2002)・製糸業と日本の産業革命との関係(1986)・産業革命にたいする政府の役割(1986)・産業革命の端緒(1993)・産業革命における綿糸紡績業および製糸業(1980).  右、所領を以て或は質券に入れ流し、或は売買せしむるの条、御家人佗〓[てい]2)の基なり。向後に於ては、停止に従ふべし。以前沽却3)の分に至りては、本主4)領掌せしむべし。但し或は御下文・下知状を成し給ひ、或は知行廿箇年を通ぐるは、公私の領を論ぜず、今更相違あるべからず。もし制符に背き、濫妨を致すの輩あらば、罪科に処せらるべし。 一橋大学過去問「世界史」2013年、大問Ⅲ(問題、解答、解説、解法と分析) 2013 年一橋の大問3は、 19 世紀末から 20 世紀初頭ごろの中国・朝鮮における政治状況を問う設問で、一橋では頻出のテーマだったかと思います。 日本史は5月から始動したい。 陸上の県大会後に、本格始動だな。 講習予定. 2017 第1問 江戸時代の混合問題ー史料 解法のヒント公開しました!1.25 ホームページへようこそ! ... 日本史論述. (3) 下線(ウ)の部分について、その編成の目的・方法の特徴をあげながら、具体的に説明せよ。 過去問で分からなかったり、忘れていた単語や熟語を確認した。1日最低ひとつは長文を読むようにして長文への抵抗をなくした。 利用した参考書 リンガメタリカ、一橋の英語15カ年、ヴィンテージ . (4) 下線部(エ)について、この下線部分を表現する歴史的用語を漢字で記し、その内容を具体例をひとつあげて説明せよ。, (1)秘密の呪法の伝授・習得により悟りをひらこうとしたもので、加持祈禱によって災いを避け、幸福を追求するという現世利益の面から貴族たちの支持を集めた。(2)戦乱の続発・盗賊の横行などの現世の社会不安の深刻化は末法思想でいう末法の世の到来を実感させ、浄土教の流行に拍車をかけた。(3)建築では、藤原頼通が建立した平等院の鳳凰堂が阿弥陀堂の代表的な遺構である。さらに彫刻では、末法思想を背景とする仏像の大量需要に応えるため、定朝が従来の一木造にかわる寄木造の手法を完成した。絵画では仏が来臨する場面を表現した来迎図が盛んに描かれた。(4)本地垂迹説。仏を本体とし、神々は仏が仮に姿を変えてこの世に現れたと説く思想。(297), 江戸幕府の年貢徴収の特質をよくあらわす言葉として、次の2つがよく知られている。ひとつは、東照宮上意とされる「郷村百姓共をば、死なぬ様に生きぬ様にと合点致し収納申し付る様」であり、いまひとつは、(ア)「西域物語」によると神尾春央(1736~1763年に幕府勘定奉行)がいったという「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」である。この2つの言葉のうち、後者は(イ)18世紀前半に転換した幕府の年貢徴収法の特質を表現したものとされている。また、これと同じ頃に、(ウ)幕府財政のあり方を変更する上げ米制も一時的とはいえ行われた。しかし、結局のところ、こうした方法では幕府財政の再建をはかることはできなかった。, (1) 下線部(ア)について、「西域物語」の著者名とその主張について述べよ。 (エ)この事件を具体的に説明せよ。, (ア)学生の後に公布された教育令では、小学校の管理を地方に移管し、就学義務を大幅に緩和したため、大きな困難を招いた。そこで森有礼文部大臣のもとで学校令が出され、小学校・中学校・師範学校・帝国大学などから成る学校体系が整備され、尋常・高等小学校4年のうち、尋常小学校3~4年間が義務教育とされた。(イ)井上哲次郎。国家の利益を個人の利益に優先させるべきであるとする国家主義を主張した。(ウ)小学校の教科書を文部省の著作に限る国定教科書制度が定められた。(エ)南北朝正閏問題。『尋常小学日本歴史』の南北朝並立記述が大義名分を誤るとされ、議会で問題化した。後に文部省編集官喜田貞吉が休職処分とされ、南朝正統論に修正された。(300), 1927(昭和2)年の金融恐慌は、近代日本における最大の金融史的事件であった。金融恐慌は、若槻礼次郎の憲政会内閣の蔵相片岡直温の第52帝国議会における失言をきっかけに始まったが、その遠因は(ア)1920(大正9)年の戦後反動恐慌以来の日本経済の変則的状態そのものにあったといえる。金融恐慌は(イ)1927年4月にピークを迎え、金融界は大混乱に陥った。その渦中で、若槻内閣が総辞職したあと、田中義一の政友会内閣が成立した。(ウ)田中内閣は強力な手段によって金融恐慌を鎮静させたあと、(エ)前内閣と対照的な対中外交を展開していった。, (ア) 1920年恐慌と関東大震災とによる経済界の混乱に対して、ときの政府はどのような対策を講じたか、具体的に記せ。また、その対策がのちの金融恐慌の原因となったことは否定できない。その理由を簡潔に記せ。 (1) 大東亜戦争は帝国が四囲の情勢に鑑み已むを得ざるに出でたるものと信じ居ること。 歴史能力検定2級 日本史過去問集 解答・解説 . (2) 高橋蔵相の財政・金融・貿易政策の特徴を井上蔵相のそれと対比してのべよ(180字以内)。 (2)井上蔵相は財政を緊縮して物価の引き下げを図り、産業の合理化を促進して交際競争力の強化を目指した。さらに旧平価による金輸出解禁を行い、外国為替相場の安定と経済の抜本的整理を図った。それに対し高橋蔵相は金輸出再禁止を断行し、円の金兌換を停止して管理通貨制度に移行した。また、円為替相場の大幅な下落を利用して植民地への大量輸出を行った。(166) 一橋大学日本史 過去の一橋大学入試問題の日本史の解答例を掲載しています。 ブログ画像一覧を見る. 主問は前半の「資本主義世界の覇権がイギリスからアメリカ合衆国に移行した過程」で、副問は「19世紀後半以降の世界史の展開をふまえ,第2次世界大戦・冷戦・脱植民地化との関係」です。副問が具体的な史実をあげつつということです。 問2 各文章に見られる著者の歴史のとらえ方の特徴について、その時代の思潮や政治動向と関わらせて説明せよ。, 1(1)慈円。愚管抄。(2)北畠親房。神皇正統記。(3)新井白石。読史余論。2愚管抄はそれまで合戦の起きたことのなかった京都を舞台にした保元の乱が起きたことで衰退していく貴族の運命と、武士が政争に使われたことによる武士の台頭を末法思想の影響を受けつつ、歴史は必然的な「道理」に基づき展開するという史観に立って叙述している。神皇正統記は全国的な統一政権としての幕府を開こうと目論む足利尊氏が立てた光明天皇側の北朝と、建武の新政からの引き続く天皇親政を行おうとする後醍醐天皇側の南朝間の抗争が続く中で書かれ、渡会家行の説いた伊勢神道や朱子学の大義名分論の影響を受けつつ、南朝の正当性を主張した。読史余論は白石が江戸幕府の権威上昇をはかった正徳の政治を行っている間に書かれたもので、歴史を段階に区分してとらえ、独自の九変五変論を展開しながら公家政権から武家政権への変化の過程をたどり、江戸幕府の正当性を主張した。(398), 近代以前の日本は、東アジア社会の一員として、他の地域と相互に影響を及ぼしあいながら、歴史を展開させてきた。次に掲げた年には、日本の対外関係史上重要な出来事が起きている。そのそれぞれについて、内外の歴史的背景と日本社会への影響を含めて説明せよ。(400字以内), (1)推古天皇のもとで中央行政機構の編成が進められる中、607年に小野妹子が遣隋使として中国へ渡り、倭の五王時代の服属外交から対等外交の確立を目指した。(2)唐の衰退に伴い、894年菅原道真は遣隋使派遣を停止した。これを受け日本ではそれまでの大陸文化の消化の上に立って、日本の風土や日本人の人情・嗜好にかなった優雅で洗練された国風文化が生まれた。(3)13世紀後半に起きた元寇以来中国大陸と日本の間に正式な外交関係はなかったが、足利義満が1401年に明と国交を開いた。日明貿易は朝貢貿易の形式をとっており、貿易費用は明側が負担したため日本側の利益は大きく、また大量に輸入された銅銭は日本の貨幣経済の発展をもたらした。(4)1543年にポルトガル人が種子島に漂着し、それ以来スペイン人も加わって南蛮貿易が行われるようになった。貿易で日本に大量にもたらされた鉄砲は戦国大名のあいだに新鋭武器として急速に普及し、戦国時代の到来を招いた。(400), 18世紀末から19世紀初頭にかけて欧米列強の船がしばしば来航するようになり、対外問題は急速に緊迫の度を強めた。1808(文化5)年にはフェートン号事件がおこって幕府を狼狽させたが、(ア)その後の幕府の対外政策は、情勢に左右されて、強硬になったり柔軟になったりした。  注 1)質入れや売買した土地  2)困窮  3)売り払うこと  4)もとの所有者  5)庶民 過去問は過去10年間分を目安に取り組みましょう。10年以上前のものはデータが古く、あまり意味がないことが多いです。 日本史の傾向と対策. 大学受験向け世界史情報ブログ 忙しさにかまけてずいぶん長いことほったらかしになっていた 2018 年の一橋の問題についてですが、この年の問題はこれまで以上に史料読解の比重が高い設問となりました。 2017 年の問題が、それ以前の数年の問題と比較すると史料を読んでも読まな … (2) 下線(イ)の部分について、これによって国民がどのように編成されたか、その結果どのような問題が残されたかを述べよ。 問3 青木周蔵外相も、対外的事件が原因で辞職を余儀なくされ、改正交渉は挫折した。その対外的事件とは何か、簡単に説明せよ。 一橋大学の日本史には頻出のテーマがあります。 例えば産業革命や松平定信についてなど、数年おきに出題があります。 一橋の日本史の勉強を始める際には、 まず自分で過去30年くらいの出題テーマを確認 してみると良いです。 問4 下線部分を具体的に説明せよ。, (1)幸徳秋水。『廿世紀之怪物帝国主義』。(2)日清戦争後の列強の相次ぐ中国分割に対し、排外主義団体義和団が「扶清滅洋」を唱えて外国人排斥運動を起こすと、清国政府もこれに同調し、列国に宣戦を布告した。これに対し日本を含む列国は連合軍を派遣して清国軍を降伏させ、翌年には清国との間に北京議定書が結ばれた。(3)後藤新平の下で土地調査事業が進められ、台湾総督府の課税対象となる農地が拡大するとともに、封建的な土地所有制度が否定されて近代的な土地所有制度への移行が進められた。また、台湾銀行や台湾製糖会社が設立されるなど、産業の振興も図られた。(4)日本政府は清国との下関条約締結により遼東半島の領有を認められたが、露仏独による三国干渉で同半島の返還を余儀なくされた。以降、日本政府は対露戦を視野に入れた軍備拡張政策をとり、その財源を補うために日清戦前より徴収されていた酒造税・地租・所得税などの増税が図られた。(395), 相渡シ申一札之事 一、寅ノ御年貢不足申候ニ付面(て)、金壱分請取、寺ノ前之上畑壱畝廿壱歩之所、但うわ木まても、永代ニ相渡申候。, 上の文は、相模国(神奈川県)のある村の農民が、慶安4(1651)年の5月に、同じ村に住む地主に、耕地を売り渡したさいの、証文の書き出しの部分である。慶安3年(寅年)の年貢を完納するために、「寺ノ前」という場所の上畑1畝21歩を、そこに栽培されているもの(うわ木)を含めて、金1分で永代に売り渡すというのである。 25ポイント(1%) 明日中1/31 までにお届け. 単行本(ソフトカバー) ¥2,530 ¥2,530. 5つ星のうち4.7 4. 3 傍線部・のように、徳政一揆が室町時代後期に頻発した理由を、次の語を用いて説明せよ。(荘園領主、土倉、年貢、加地子、惣村、強訴), (1)鎌倉時代後期には御家人の多くは分割相続の繰り返しによって所領が細分化された上、貨幣経済の発展に巻き込まれて窮乏していた。そのため幕府は永仁の徳政令を出して御家人の所領の質入れや売買を禁止して、それまでに質入れ・売却された土地を無償で取り戻させ、御家人の窮乏を防ごうとした。(2)債権者である高利貸の土倉や酒屋が徳政令の適用免除を幕府に要求する際にも幕府は債権者から債額の一部の分一銭を得ることができた。(3)鎌倉後期に発生した惣村は南北朝の動乱のなかで各地へ広がっていった。農民による自治的な村である惣村の農民は連帯意識のもとで年貢や加地子の減免を求めて一揆を結び、荘園領主に対して強訴や兆散などの実力行使を行った。この一揆は次第に徳政を要求するようになり、室町時代後期、農村には土倉などの高利貸が浸透していたため、各地で徳政一揆が結ばれ、実力による債務破棄・売却地の取戻しが行われた。(390), 次の文章は、山県有朋首相の1890年(明治23)の意見書、「外交政略論」の一節である。これを読んで、下記の問い(1)~(3)に答えよ。(400字以内), 国家独立自衛ノ道二ツアリ、一ニ曰ク主権線ヲ守禦シ他人ノ侵告ヲ容レズ、二ニ曰ク利益線ヲ防護シ自己ノ形勝ヲ失ハズ、何ヲカ主権線ト謂フ、疆土是ナリ、何ヲカ利益線ト謂フ、隣国接蝕ノ勢我ガ主権線ノ安危ト緊シク相関係スルノ区域是ナリ……而シテ外交及兵備ノ要訣ハ専ラ此ノ二線ノ基礎ニ存立スル者ナリ、方今列国ノ際ニ立テ国家ノ独立ヲ維持セントセバ、独リ主権線ヲ守禦スルヲ以テ足レリトセズ、必ヤ進テ利益線ヲ防護シ常ニ形勝ノ位置ニ立タザル可ラズ、利益線ヲ防護スルノ道如何、各国ノ為ス所苟モ我ニ不利ナル者アルトキハ我レ責任ヲ帯ビテ之ヲ排除シ、已ムヲ得ザルトキハ強力ヲ用ヰテ我ガ意志フ達スルニ在リ, (1) 傍線を付したような考え方に立って、西南戦争以降、この時期までに行なわれた軍事上の改革について説明せよ。  1853(嘉永6)年にペリーが来航すると、老中阿部正弘は、朝廷に報告するとともに諸大名・幕臣に意見を求める方針をとったが、これを機に朝廷の権威か高まり、さまざまの政治勢力が登場して、幕末の政治的激動がはじまった。将軍継嗣問題はその最初の事例で、(イ)2つの勢力が争い、井伊直弼が登場して強硬な措置をとった。 一橋大学の日本史には頻出のテーマがあります。 例えば産業革命や松平定信についてなど、数年おきに出題があります。 一橋の日本史の勉強を始める際には、 まず自分で過去30年くらいの出題テーマを確認 してみると良いです。 この記事では、現役の一橋生が実際の過去問も交えながら、難問が頻出な一橋世界史の対策方法を解説します。 一橋大学を世界史で受験しようと考えている方は、ぜひ参考にしてください! 目次. (3) 1月20日には、庄屋たちが代官から、守るべき法や条目を読み聞かされている。これは、この時代の年貢の取り立て方と密接な関係がある。その年貢の取り立て制度について説明せよ。, (1)この文章では、昔は村という字の代わりに名という字が用いられたことが名の起源だとしている。しかし実際は、公地公民制の崩壊に伴って土地に対する私有権が発生し、土地の所有者である名主が自らの名前を冠して命名したことが起源である。(2)江戸時代以前では袴は庶民や貴族の普段着として着用されていた。(3)鎌倉後期に発生し、南北朝の動乱のなかで各地に広がった農民による自治的な村である惣村では、領主に納める年貢を惣村全体で請け負う地下請が行われており、後の豊臣秀吉による政策では村ごとに検地が実施され、村を単位として検地帳が作成されたことにより村の境界が確定し、さらに一地一作人の原則により土地に対する重層的な権利関係が解消された。これを受けて、江戸時代においても村全体の石高である村高を対象として年貢が賦課され、村役人の責任の下、村全体で年貢を一括納入する村請制が採用されていた。(382), 次の文章は、1901年(明治34)に出版されたある社会主義者の書物の一節である。この文章を読んで、下記の問いに答えよ。(400字以内), 今や我日本も亦此主義に熱狂して反かえらず。十三師団の陸軍、三十万噸の海軍は拡張されたり、台湾の領土は増大されたり、(問2)北清の事件には軍隊を派遣せり、国威と国光は之が為に揚れり、軍人の胸間には幾多の勲章を装飾せり、議会は之を賛美せり、文士詩人は之を謳歌せり。而して是れ幾何か我国民を大にせる乎、幾何の福利を我社会に与ヘたる乎。 1858(安政5)年に徳川幕府が諸外国と通商条約を締結して以来、日本は不平等条約(1)のもとに置かれつづけた。ついで徳川幕府が崩壊し、維新政権が成立すると条約改正問題は、明治日本の国家的課題となった。1871(明治4)年、岩倉具視を全権大使とする遣欧米使節団が欧米諸国を訪問したが、条約改正のための予備交渉は最初の訪問国アメリカで早くも挫折した。以後、寺島宗則、井上馨(2)、大隈重信、青木周蔵(3)など歴代の外務卿・外相が改正の努力をつづけたが、いずれも失敗に終わった。結局、わが国が条約改正問題を最終的に解決するためには、日清戦争直前と日露戦争後の二つの条約改正(4)まで待たねばならなかったのである。, 問1 一連の通商条約が不平等条約といわれる理由を3点挙げよ。また、1866(慶応2)年に幕府が再度、イギリス、フランス、アメリカ、オランダと締結した条約の名称と内容を記せ。